【グローバル・インパクト創出奨学金 第1号奨学生インタビュー】 第7期生 笠柳大輔さん「新しい資本主義の可能性と社会変革の未来を探る」
2024年12月17日
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グローバル・インパクト創出奨学金は、社会にインパクトを生み出すビジネスや事業に携わる方で、グローバルな展開や連携を目指している実践者を対象にした奨学金として、昨年新設されました。今年8月に入学をした、奨学生第1号の笠柳大輔さんにお話しを伺いました。

 

笠柳大輔と申します。NPO法人DPI日本会議という、障がい者の権利擁護や政策提言を主軸とした活動を行う団体で働いています。私たちの団体は、「すべての人が希望と尊厳を持ち、ともに育ち、学び、働き、暮らせるインクルーシブな社会を創る」ことを目指しています。私の役割は、ファンドレイジング、広報、マーケティング、イベント運営、講演活動といった分野が中心です。

 

私は生まれつきシャルコー・マリー・トゥース病という、筋力が徐々に衰えていく進行性の障がいを持っています。この障がいを医師から伝えられたのは小学2年生のときで、「将来歩けなくなる」と言われました。両親は、少しでも進行を遅らせようと、私と全国の病院を回り、リハビリに取り組むよう私を励まし続けました。私自身もその期待に応えるため、毎日リハビリに励みましたが、障がいの進行は止められませんでした。

 

中学2年生のとき、公園で遊んでいた最中に突然走れなくなった出来事は、今でも鮮明に覚えています。また、高校2年生の移動教室中に、階段を手すりなしで上がれなくなり、障がいの進行を突きつけられるような瞬間が度々訪れました。そうした中で、私は障がいを「克服すべきもの」「なくすべきもの」と捉え、健常者として周囲に迷惑をかけない人間でなければならない、という強い思いに駆られていました。

 

大学に進学する頃には、長距離を歩くことも困難になり、自宅から車で通える通学可能な範囲での選択を余儀なくされました。それでも、家庭教師のアルバイトやボランティア活動、サークル活動に積極的に参加し、自分はやればできるという自信を少しずつ培いました。しかし、自分自身受け入れられない葛藤は消えず、自分自身の尊厳を見失い続けていた時期もありました。

 

大学卒業後は一般企業に就職しましたが、そこでも障がいの進行による壁に直面しました。少しずつ動かなくなっていく身体、このままでいいのかと毎日自問自答していました。そしてある日、自分自身で歩くのが限界に近くなり「車椅子に乗ることは避けられない」と悟ったとき、私の人生観は大きく揺らぎました。それまで「車椅子に乗らないこと」を目標にしていたため、それを受け入れることは、自分のアイデンティティそのものを失うような感覚でした。しかし同時に、「せっかくこんな障がいを持てたんだから、この障がいを活かした仕事がしたい」という新しい想いが芽生えました。

 

その後、障がい者支援を行うさまざまな団体を訪問して、多くの方々と出会う中で、現在の職場にたどり着きました。その後すぐに車椅子に乗り始めるのですが、車いすでの生活を始めると、それまで抱えていた苦しみが一転しました。歩行が困難で外出するのも億劫だった日々が、車椅子に乗ることで劇的に改善されました。移動が楽になり、周囲に気を遣いすぎることなく行動できるようになったのです。

 

それ以上に大きかったのは、自分の障がいを生かして社会をより良くしたいと強く思うようになったことでした。

ある日外出していたときに、反射したガラス越しに車椅子に乗った自分が映っているのを見て、「車いすに乗ってる自分いいじゃん!」と思えた瞬間がありました。それは私にとって大きな転機でした。それ以来、障がいが進むほどに自分の人生が良くなっていると感じ、障がいを通して得られた経験を語ることで前向きな気持ちを周囲に伝えられるようになりました。私の話に勇気をもらったという声をいただくことで、逆に私自身も力をもらっています。

 

現在、私は充実した日々を送っています。障がいを持つ自分だからこそできることを追求しながら、誰もが尊厳を持って暮らせる社会を目指して活動を続けています。

 

 

– 障がいをもったことで、他の人の人生を豊かにする特権が得られたのですね。ご自身のキャリアにも何か変化がありましたか?

 

私は新卒後、コンサル企業やIT会社に勤めました。その時、障がい者からの視点として感じたのは、企業が一般的に考えている「売り上げを増やす・コストを下げる・そして利益を最大化する」、という考え方に疑問を持っていました。

 

なぜなら、障がい者はそのモデルの中では「コスト」として認識されていたからです。

 

昔に比べると日本の障がい者雇用は発展してきてはいますが、障がい者雇用を進める為には、その人の状態に合わせた働く時間や職場環境等の整備が必要で、政府からの環境整備や合理的配慮に関する支援も十分ではなく、働くことが出来ない障がい者がたくさんいます。いまだに、多くの企業経営者の感覚は、障がい者を受け入れることにネガティブで、真のインクルーシブは実現できていないと思っています。

 

「売り上げを増やす・コストを下げる・そして利益を最大化する」という、今の資本主義がつくった公式を根本的に変えて、次の時代の新しい資本主義のあり方があるのではないか、とずっと思っていました。

 

しばらく民間企業で働いた後に、自分がまさにやりたいと思っていたことを推進していたDPI 日本会議に転職し、今の仕事を始めました。ただ、日本では障がい者の権利擁護活動、政策提言の活動はあまり注目されることがなく、ずっと財政が苦しい状況が続いていますし、活動の広がりを模索するにも大きな壁があるように感じていました。

 

–資本主義の未来、については至善館もプロジェクトを立ち上げて模索しているところです。

 

はい、今年に入って、たまたま至善館の鵜尾副学長から、至善館の話を伺いました。資本主義の再考を真剣に授業で取り上げていたり、ビジネスとソーシャルの垣根を超えるようなカリキュラムを提供しているところがすごく魅力的でした。至善館では、これまでコンフリクトすると思われてきた、ビジネスとエシカルを両立するような新しい資本主義のモデルについて深く考えていけるのでは、と思い出願しました。

 

–入学されてからまだ4ヶ月ほどですが、これまでにどのような学びや気づきがありましたか?

 

グリーンピースという国際NGOの活動は、過激なことで有名ですが、授業でその活動の賛否を問われたときに、否定的な意見を持つクラスメイトもいました。私にとっては、彼らの活動は「現在の社会にとって、とても有益な活動」だと思ったのですが、まったく逆の感覚を持った人もいるのだと気づきました。

 

その時に、それまで自分は障がい者支援の業界の中で活動し、それに理解のある人に囲まれていたんだ、ということに気づきました。社会には価値観の異なるコミュニティが存在し共存している、という当たり前のことを認識できた瞬間でした。

 

至善館が素晴らしいのは、そんな異なった価値観を持ったクラスメイトと、お互いの価値観を尊重しながらディスカッションできる環境があることです。

 

「私たちは、自分と異なる価値観が存在する社会で、今ある限られたリソースを使って、新しいシステムを構築することが必要だ」ということを授業で教えてもらいました。一気に視野が広がりました。

 

–今後の抱負をお聞かせください。

 

昨年、公益財団法人ダスキン愛の輪基金から助成金を頂き、約1年間にわたりアメリカの障がい者団体のファンドレイジングに関する活動を調査しました。この研修の狙いは、日本の障がい者支援団体が直面する慢性的な資金不足の解決策を見出すことでした。

 

調査を通じて最も衝撃を受けたのは、米国の一般企業が示す障がい者支援への理解度の高さと、充実した政策でした。日本では障がい者支援イベントへの企業からの大規模な援助は珍しく、政策提言をしても「障がい者のわがまま」と誤解されがちです。

 

一方、米国政府は障がい者の権利擁護機関を設置し、草の根レベルで支援活動を着実に拡大しています。企業と障がい者支援団体の協力も盛んで、団体への多額の寄付が行われていました。日本の障がい者団体の置かれた厳しい状況を改めて認識しました。

 

異国の文化や政策をすぐに取り入れるのは困難ですが、企業と障がい者支援団体の協力関係は日本でも実現可能だと考えています。現在、日本では両者の間に大きな隔たりがありますが、自分が働きかけることで、その距離を埋めていきたいです。

 

至善館では、自分の価値観と違う方々とのディスカッションを通して、新しい資本主義の構想に向けて、障がいのセクターとして何ができるか見出し、具体的な活動を考えていきたいです。そして、どんな障害を持っていても安心して暮らせる社会をつくるために貢献できるような学びを得たいと思っています。

 

 

(2024年12月10日)

 

【参考リンク】

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 住所: 〒103-6117 東京都中央区日本橋2-5-1 日本橋髙島屋三井ビルディング17F
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